江戸時代の浮世絵師 トップ 広重 飾り易いサイズの木版画 東海道五拾三次 「大津・走井茶店」 ※額付き 正光画廊

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powered by auction-labo.com 画家名 安藤広重 画題 東海道五拾三次「大津・走井茶店」 サイズ 絵寸:19.5㎝×30㎝ 技法 木版画
状態 全体的に良好です。 画家 略歴 広重は、江戸の八代洲河岸(やよすがし)定火消屋敷の同心、安藤源右衛門の子として誕生。
源右衛門は元々田中家の人間で、安藤家の養子に入って妻を迎えた。長女と次女、さらに長男広重、広重の下に三女がいた。
文化6年(1809年)2月、母を亡くし同月父が隠居し、数え13歳で広重が火消同心職を継ぐ。同年12月に父も死去。 幼いころからの絵心が勝り、文化8年(1811年)15歳のころ、初代歌川豊国の門に入ろうとした。
しかし、門生満員でことわられ、歌川豊広(1774年-1829年)に入門。
翌年(1812年)に師と自分から一文字ずつとって歌川広重の名を与えられ、文政元年(1818年)に一遊斎の号を使用してデビュー。
文政4年(1821年)に、同じ火消同心の岡部弥左衛門の娘と結婚した。
文政6年(1823年)には、養祖父(安藤家)方の嫡子仲次郎に家督を譲り、自身は鉄蔵と改名しその後見となったが、まだ仲次郎が8歳だったので引き続き火消同心職の代番を勤めた。
始めは役者絵から出発し、やがて美人画に手をそめたが、文政11年(1828年)師の豊廣没後は風景画を主に制作した。
天保元年(1830年)一遊斎から一幽斎廣重と改め、花鳥図を描くようになる。
天保3年 (1832年)、仲次郎が17歳で元服したので正式に同心職を譲り、絵師に専心することとなった。一立齋(いちりゅうさい)と号を改めた。また立斎とも号した。
入門から20年、師は豊廣だけであったが、このころ大岡雲峰に就いて南画を修めている。
この年、公用で東海道を上り、絵を描いたとされるが、現在では疑問視されている。翌年から「東海道五十三次」を発表。
風景画家としての名声は決定的なものとなった。以降、種々の「東海道」シリーズを発表したが、各種の「江戸名所」シリーズも多く手掛けており、ともに秀作をみた。
また、短冊版の花鳥画においてもすぐれた作品を出し続け、そのほか歴史画・張交絵・戯画・玩具絵や春画、晩年には美人画3枚続も手掛けている。さらに、肉筆画(肉筆浮世絵)・摺物・団扇絵・双六・絵封筒ほか絵本・合巻や狂歌本などの挿絵も残している。
そうした諸々も合わせると総数で2万点にも及ぶと言われている。
安政5年没。享年62。死因はコレラだったと伝えられる。墓所は足立区伊興町の東岳寺。法名は顕功院徳翁立斎居士。友人歌川豊国(三代目)の筆になる「死絵」(=追悼ポートレートのようなもの。本項の画像参照)に辞世の歌が遺る。
東路へ筆をのこして旅のそら 西のみ国の名ところを見ん




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